通信制大学とは

 

 1996年に会社に入社し一年間様子をうかがっていましたが、翌年のゴールデンウィークにいよいよ行動を開始しました。会社に入って働き出すと金銭的余裕が出てきます。僕の場合は実家から通っていましたので実家にいくらか入れているとはいえ、自由になるお金が結構できます。特にボーナス、これは魅力的でした。先進国でなければボーナス1回分で10日間くらいの海外旅行は十分出来ます。

1996年冬の卒業旅行で中東デビューした僕は味を占め、トルコ以外の中東の他の国に行きたくなりなした。まずは、中学生の時から憧れだったダマスカス、アレッポやパルミラのある国「シリア」に白羽の矢を立てました。そして、シリアのとなり国ヨルダンにも行くことにしました。

 

シリアとヨルダンの位置

日程は以下の通り。

 

4月26日(土) 成田 =>(空路)=>モスクワ(泊)

4月27日(日) モスクワ =>(空路)=>アンマン(ヨルダン)=>( 乗合タクシー/国境越え)=> ダマスカス(シリア)泊

4月28日(月) ダマスカス==>パルミラ(宿泊)

4月29日(火) パルミラ=>(バス)=>ホムス(宿泊)

4月30日(水) ホムス ==> クラックデシェバリェ(十字軍の城) ==> ホムス ==> ダマスカス(宿泊)

5月 1日(木) ダマスカス(散策)=>( 乗合タクシー/国境越え)=>アンマン(ヨルダン)宿泊

5月 2日(金) アンマン=>( ミニバス)=>ワディ・ムーサ宿泊(ペトラ遺跡散策)

5月 3日(土) ペトラ遺跡散策/ワディ・ムーサ(宿泊)

5月 4日(日) ワディ・ムーサ==>アンマン =>(空路)=>モスクワ(宿泊)

5月 5日(月) モスクワ(ほぼ一日缶詰)==>(空路)=>成田(翌6日着

 

 空路は安いアエロフロートロシア航空を使いました。まあ安さの他にヨーロッパ経由だと行きすぎてしまい距離的にちょっともったいないので、すぐ真南のロシア経由を選んだという理由もあります(下記地図参照)。とはいえ、結果的には乗り継ぎの関係で帰りはほぼ一日ホテルに軟禁された訳ですから、どっちがいいんだかようわかりません。

 旅のスタイルは、往復のチケットとヴィザ(今回はシリアとヨルダン)のみを日本で手配し、そのほかは現地でなんとかするというバックパッカー定番のスタイルです。日本で予約できる宿は概して宿泊料金の高い宿ですし、予約してから行ってしまうと現地の状況により予定を変更するなどが出来なくなるため、この自由旅行のスタイルが僕にはあっています。

 まあ、行きたいところはだいたい目星を付けていますが、まさかヨルダンの首都アンマンに着いたその日に乗合タクシーで国境を越えてシリアに入るとは当初は考えていませんでした。アンマンですぐに国境越えタクシーを見つけることができたために出来た芸当です。まあどのみち帰国の際の空路出国はアンマンからでしたので、早めにシリアに入国しないと2カ国回るのはきついとは思っていましたが・・・。

 

1997年4月26日(土)

 都内の自宅を9時に出発し、成田空港に向かいました。カウンターにて旅行会社の職員から航空券を受け取り、アエロフロートロシア航空のチェックインカウンターへ・・・。

 そうそう、この時代の格安航空券はツアー会社でツアー(架空に近い)に申し込んでバウチャーを貰い、当日に空港にて航空券と引き換えるんです。その航空券を持って各航空会社の窓口にてチェックインするんです。最近は海外に行ってないので、最近の事情はわかりません。

 13時成田発のモスクワ経由ローマ行きのフライトのようです。僕はモスクワでトランジット(乗り換え)て、ヨルダンの首都「アンマン」に向かいます。日本とモスクワとの時差はマイナス5時間、腕時計の針を5時間遅らせます。モスクワ時間の19時過ぎ、正味11時間ほどのフライトでモスクワに到着しました。アンマン行きのフライトは翌日ですので、この日はモスクワで一泊です。ノボテルという国営の高級ホテル(バックパッカーの間では「監獄」と呼ばれている)に宿泊しました。

 

(※ノボテルが監獄と呼ばれたゆえんは、一旦部屋に入ってしまうとトランジット客は外出できないからです。文字通りの「缶詰」で

す。泊まってる階のフロアには出られますが、他の階には行けません)

 

(※以前あったトランジット客向けのモスクワ市内観光ツアーは廃止されたとのことでした。これを期待していたので残念でした)

 

1997年4月27日(日)

 アンマンの空港に15:30頃到着し、ヨルダン入国審査後、飛行機の中で知り合った日本人男性3人(渡辺くん、永井くん、あと1名)と一緒にバスでアンマンの中心部に向かいました。アンマン中心部に到着すると、1名の男性はさっさと立ち去りました。そして渡辺くんはイスラエルに行くとのこと、永井くんはどこに行くか迷った末、渡辺くんについて行きました。僕はとりあえずシリアに行く方法を知りたいと思い、目についたタクシーの事務所(入り口のガラス窓にダマスカス、ベイルートなどと書いてがあった)にとびこみました。そうすると、お客が集まればこれからでもダマスカスへ行くとのこと。さっそく同乗の客をタクシーに乗って待ちます。

 

写真は、
1)空港からアンマン市内へのバスの中
2)アンマン中心部であとひとりの男性(名前聞かなかった)と分かれるシーン
3)アンマンから各方面に行く乗合タクシーの事務所

 

 乗合タクシーの事務所の看板をあらてめて見ると「ダマスカス」「ベイルート」「バグダッド」「クウェート」って書いてあるけど、クウェートなんてアンマンから何時間かかるんだろうか・・・???1000kmぐらいあるんじゃないのかな?

 30分ほど待っただろうか。同乗者が3名集まり、僕を含めて4名の乗客を乗せてダマスカスへ向けて出発しました。シリアとの国境へ向けて夕暮れの大地をタクシーは北上します。ほどなく日も沈み、真っ暗になりました。国境に近づくと、タクシーは国境手前(ヨルダン側)の雑貨屋の前で停車しました。どうやら休憩と両替をするようです。僕も50ヨルダンディナールを3600シリアポンドと両替しました。

 

 上の3枚の写真は、乗合タクシーで立ち寄ったヨルダン・シリア国境のヨルダン側の雑貨屋でのスナップです。雑貨屋の主人と息子、タクシー運転手、乗合タクシー同乗者と一緒に撮りました。シリア内戦後、果たして彼らはご存命なのだろうか・・・?

1)ぼく(真ん中)と雑貨屋主人と息子

2)タクシーの運ちゃん(真ん中)と雑貨屋主人と息子

3)ぼく(左端)と同乗者(客)

 

 雑貨屋を後あとにし、しばらく走るとヨルダン側の国境検問所に到着しました。ここで一旦下車し、税関とイミグレ(出入国審査)に向かいました。ここで書類を1枚書かされましたが、比較的スムーズに手続は完了しました。タクシーに乗り込み、シリア方面へ・・・。

シリア側の国境検問所とヨルダン側の国境検問所はだいたい1kmくらいは離れているでしょうか?しばらく暗闇でなにも見えない荒野の真ん中の道を走ります。おそらく国境緩衝帯で道以外の部分には地雷が埋められているのでしょう・・・。

 シリアの国境検問所につくと、やはり下車し、税関とイミグレに向かいました。パスポートチェックと書類を2枚書かされましたが、あらかじめ東京でヴィザをとっていましたので問題なく通過。シリア側の国境検問所を出発したときにはすでに20時20分でした。

国境検問所からはシリアの大地です(当たり前か)。さらにタクシーは北上します。

そしてシリアの首都ダマスカスについたのは22時になっていました。

ダマスカス中心部に着いて、乗合タクシーを下車しました。そしたら、同乗者のシリア人(上の写真右端の方)が食事をしないかと言ってきました(ほとんど英語が話せない方なので片言で会話しました)。そこで近くの食堂で一緒に食事をしました(結局おごってもらいました)。