中央ヨーロッパへの旅

1992年夏

 

ぼくの海外ひとり旅の原点がこの中央ヨーロッパ(ドイツ語圏)の旅です。子供の頃から世界に憧れていたぼくは、ずっと海外に行きたいと願っていました。子供の頃に観たNHK特集の「シルクロード」(石坂浩二がナレーターの一番最初のやつ)に衝撃を受け、非欧米各国、とりわけ中東やスラブ世界に憧れました。特にロシアに熱中し、高校時代にはNHKのロシア語講座を聴き、学校の教室にゴルバチョフ(当時のソ連の書記長)の写真を貼る熱の入れようでした(共産主義に傾倒していたわけではなく、東方キリスト教世界に憧れていました)。大学に入り、行動の自由がある程度確保できると、早速海外旅行を模索しました。

こんな僕は当初はロシアへの旅を考えていましたが、時はソ連崩壊の直後、混乱の時代でした。また旧ソ連の国々は『バウチャー』という旅行計画書(日程の全てと宿泊先をあらかじめ決めなければならない)を大使館に提出しないとビザが下りませんでした。初めての海外旅行ではハードルが高すぎです。そこで第2外国語として取っていたドイツ語の文化圏を旅の目的地としました。

一般論はこれぐらいにして、僕が東部を訪れた真の理由は先に述べたように「ヤコブ派(シリア正教)の世界に触れてみたい」という知的好奇心からでした。ぼくのこれまでの研究からヤコブ派が現トルコのディヤルバクル周辺に昔から多く住んできて、また今でも若干の人たちが残っていることはつきとめていました。ただ具体的なこととなると、日本にいる限り知ることには限界がありました。卒論を通してヤコブ派を調べていくうちに、これは是非ホンモノに触れてみたいという欲求が沸いてくるのもごく自然なことでした。

ではどのような旅であったのか、具体的に話していきましょう。まず日程は以下の通り。

 

4月27日(金) 成田 ==> ホンコン ==> バンコク ==> マスカット ==> バーレーン(宿泊)

4月28日(土) バーレーン ==> イスタンブル ==> ディヤルバクル ==> マルディン(宿泊)

4月29日(日) マルディン(宿泊)(ザファラン修道院)

4月30日(月) マルディン ==> ミディヤト(宿泊)

5月 1日(火) ミディヤト ==> 聖ガブリエル修道院 ==> ミディヤト ==> マルディン 

        ==> シャンルウルファ(宿泊)

5月 2日(水) シャンルウルファ ==> ディヤルバクル(宿泊)

5月 3日(木) ディヤルバクル(宿泊)

5月 4日(金) ディヤルバクル ==> イスタンブル ==> バーレーン ==> バンコク

5月 5日(土) ==> ホンコン ==> 成田

 

とにかく行き帰りの飛行機は大変だった。乗り換えが多くて・・・。トルコ航空の直行便を取りたかったんだけど、ゴールデンウィーク中には個人旅行者はまずトルコ航空のチケットを取れることはないですね。だいたい団体に押さえられてしまいますから・・・。そのため

キャセイパシフィックでホンコンまで行き、ホンコンからガルフエアー(アラブ首長国の航空会社)を使ったのでした。ちなみに去年のレバノン・シリア旅行もガルフエアーで同じように乗り継いで行きました。

 

さてイスタンブルでトルコに入国し、そこからさらにトルコ航空の国内線で一気に東部の町ディヤルバクルへ。

ディヤルバクル周辺の地図は以下の通り。

 

さてどのようにこの旅を語っていこうかと思うのだが、2つの方法を取ろうと思う。

ひとつは日程を順に追って記述するもの、そしてもう一つは訪れた場所ごとに説明を加えていくもの。

 

1)順を追って旅を振り返っていくのはこちら。=>旅行記(編年体)

 

2)訪れた場所ごとに見ていく場合はこちら。 =>訪問記(百科全書的)

 

3)写真集