ルーマニア・

トルコ1996 

 
     
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ルーマニア・トルコ1996 旅行記(編年体バージョン)

 

 ここからは日記のようにこの旅行記を振り返ってゆく。

 これを書いているのは2001年11月だけれども、実は旅行の直後に書いていた旅行記が古いメールの中より見つけだした。これは当時メール友達に送っていたものだ。しかし、これはブラショフまでしか書かれていない。ということで、ブラショフ到着時まではこの旅の直後に書かれた旅行記を引用しようと思う。

文中(【注釈】   )は、2001年11月現在の僕が書き加えたもの

 

_/_/ 以下、1996年春から夏にかけて書いた旅行記 _/_/_/_/

 

第1話 「しんちゃん、にっぽん脱出(強制送還ではない、亡命でもない)の巻」

1996年2月22日(木)

 トルコ航空機で正午頃、成田を飛び立ちました。行き先は、イスタンブール。「とんでイスタンブール」ってかんじ。

機内で、最近イスタンブールとか人気あるんですよ、隣に座ったのはアーパー女子大生3人組(もちろんツアー)、別にツアーとか否定する訳じゃないんだけどお前らちょっと下調べぐらいしてから旅立てよー・・・・てな感じの子たちとお話しして過ごしました(別に女の子嫌いじゃないんで)。(【注釈】当時から女の子には甘いんです、あはは。)

10時間いや12時間かな、ようやく現地に着きました。

イスタンブールは、二月なのに暑かった。もっと寒いと思ったのに・・・

ルーマニア行きのフライトは明日の午後。今日は遅くの到着だったんで、日本で予約しておいたホテルにチェックイン(5000円ぐらいかな)。

 

第2話「しんちゃん早々とトラブル?に巻き込まれるの巻」

2月23日(金)

9時頃チェックアウト。

午後のフライトだったんで、イスタンブールの旧市街をさまよい歩く(散策って言うのかな)。時々怪しいトルコ人が話しかけてくる。絨毯屋だろうと思ってあまり相手にしない。お決まりのブルーモスクアヤソフィヤの辺りをウロウロしていると、トルコ人の姉妹に話しかけられる。女に甘いんで、誘われるがまま彼女のおじさんのうちでお茶をご馳走になった。

ところが・・・

(残念ながらまだトラブルは出てきません、女にだまされたと思ったでしょ)

おいしいお茶の後、再会を約束し、空港へタクシーで向かいました。

(【注釈】これは明らかに絨毯屋の客引きですね。結局、イスタンブルに帰ってきて来ても会わなかったけど)

チェックインの後、搭乗口で出発を待っていました。2時出発のはずなのに10分前になっても搭乗口が開かない。

なぜ?なぜ?なぜ?????

 

第3話 「まだイスタンブール。ああルーマニアは遠い国の巻」

飛行機が出発しない、なぜ?

その謎にアナウンスが答えてくれました、トルコ語とルーマニア語で・・・。

そんな言葉が分かる訳ないしんちゃん、しょうがないから周りの奴等に聞きまくる。

そしたら地獄に仏。一人のトルコ人ビジネスマンが流ちょうな英語で通訳してくれました。

どうもブカレストの空港が霧で閉鎖中で出発を待っているとの事。しょうがないから待つしかない。

そのトルコ人と話しながら待つこと1時間、2時間・・・

結局5時まで待たされて、挙げ句の果てに今日は欠航。何でも霧じゃなくて大雪らしい。

明日の午前中に便が変更になった。

再入国の手続きがまた手こずって、空港内でたらいまわしにされ、

トルコ航空の用意したホテルにチェックインしたのは夜の7時過ぎ。

おいおい今日はいったい何だったんだよー、

でも5星のホテルにタダで泊まれたし、

トルコ人とエジプト人の友達できたし、良しとするか。

 

第4話 「ルーマニアの大地は白かった、インドの都市はカルカッタの巻」

2月24日(土)

9時に飛行機が出発なので、ホテルに7時にバスが迎えに来る・・・はずが7時半。

おいおい間に合うのかよ!8時過ぎにチェックイン。中国人の2人組と知り合いになった。チェックインの際、戸惑っていたんで(彼らは英語が話せない)、親切なしんいちくんは助けてあげました(こういうところで外交得点を上げてるんだぞ、外務省の連中よ!)。

(【注釈】非常に当時は自惚れてますね、恥ずかしいです)

彼らは大陸(社会主義の方の)のお役人でルーマニアの税制の視察に行くらしい(漢字の筆談で会話した)。でもさぁ、ルーマニアの税制なんて見てどうするんだろう、もっと参考になる国に行けばいいのに、何か大陸の方の中国人ってずれてんだよなぁと心の中で思って、顔で笑っていた。やっと飛行機に搭乗する。乗客みんなの手続きが出発予定時間までに終わらず、やっぱり出発遅れて10時半。

こうしてイスタンブールを後にした。

雲の隙間には黒海が見える。

シートベルトのランプが消えるとすぐに昼飯?が配られた。え?50分のフライトなのに昼飯出るの?案の定、全部食べ終わらないうちにスチュワーデスがトレイを集めだしたんであわてて口にかき込んだ。こうして30分の水平飛行の後、着陸態勢に入った。

ルーマニアの大地が見えてきた。

あんれま、なにもないやんけーーーー。

見えるのはただ白い大地のみ。町も家も見えない。

でも高度を下げてるから、どうも空港は近いらしい。雪の平原にちょこっとアスファルトが見える所、どうもあれが空港みたいだ。

「エライところに来てしまった」

これがルーマニアに着いたときの初めての印象だった。

 

第5話 「やれやれ。やっと入国」の巻

飛行機は空港に滑り込んだ。滑走路は雪だらけ。飛行機の通るところだけかろうじて、除雪してあって、雪の山の合間をぬってターミナル付近へ飛行機が近づいた。

タラップを降りると、「うわー、さむー!」でも、快晴。

バスに乗り換えて到着ロビーへ。ソ連製の旧式の銃を持った兵隊ちゃんがウロウロしてる。「うー、ちょっとこわい」と思ったけど、余裕ふりしてた。(【注釈】初初しいですねぇ、今じゃ、銃見たぐらいじゃ何とも思わなくなってしまった)

入国の手続き書類を書かされるが、あの中国人がまた近寄ってきた。どうも書類の英語が読めないらしい。「なんで俺がこんな事せにゃあかんの」と思いながらも、記入を助けてしまう。でも途中でめんどくさくなって、近くの兵隊ちゃんをよんであとは彼に任せてしまった。兵隊ちゃんは物騒なもの持っているくせに、陽気な野郎でちょっとほっとした。

ビザ持ってたんで、入国審査の窓口に並ぶ。

するとどっからか日本語が・・・「こんにちは、あなた、日本人?」

金髪のねーちゃんが流ちょうな日本語で話してきた。

「え?」と思うと、彼女は「わたし、富山で2年間働いていました。」と。

ルーマニア人である彼女は、ルーマニア人専用の窓口をスーと通って、

「さよなら」「またね!」と言って、行ってしまった。

待つこと(列に並んで)・・・うーん20分くらいかな。

5分くらいの入国審査を終えて無事入国した。

 

第6話 「とりあえず駅まで」の巻

 

 入国審査を終えて下の出口に降りて行くと、昨日知り合ったトルコ人ビジネスマン、Aydogan さんがベンチに座っていた。ブカレストの駐在員、ビクトルさん(ルーマニア人)の迎えを待っているそうだ。僕も駅まで送ってくれると言うので、一緒に待つことにした。彼は仕事で日本にも来たそうで、その時の話を面白おかしく語ってくれた。いろいろ話してネタが尽きてきても、まだビクトルは現れない。もう1時を過ぎている。彼も少しイライラしてきたようだ。何回か事務所に電話したが、どうも留守らしい。

2時頃になってようやく彼が現れた。どうも車が故障して、代車を手配していたらしい。

空港からノルド(北と言う意味)駅までのドライブは何を見ても珍しい 。

昨日雪が降っただけあって、町中雪だらけ、解けた雪で水浸し。おまけに町中の道は穴ボコだらけで、ひどいところは20cm位の深さの穴があいてるところもあった。やっぱ、この国は金無いのかなぁ。フランスの真似して作った凱旋門の横を通り駅に向かった。駅に着いて、とりあえず両替することにしたんだけど、もう3時を過ぎてて銀行は休みらしい。しかたなく、ビクトルさんが適当なお店につれてってくれて両替をした。本当は闇両替は犯罪なんだけど、まいいか。駅に戻って、ビクトルが聞いてきた。

「これからどこに行くの?」

そうだ、まだ行く先を決めてなかった。

 

第7話 「線路は続くよ、白い大地に 旅は道連れ 世は情けねえ」の巻

 とりあえずどうしようか。

スチャバに行こうか、でもここから8時間、ちょっとかったるいなあ。

マラムレシュも遠いし、夜行でも探せば行けるかも、

やっぱ、ブラショフにしようか・・・

 と、迷いに迷って結局、一番待たない列車に乗ることにした。オラデア(国境の町)行きだったので、その路線上で一番行きたいブラショフに行くことに決めた。列車が雪で遅れていたため、切符(5ドル位)を買った後、出発が一時間後に変更になった。

 その一時間の待ち時間、Aydogan さんとビクトルさんと遅い昼食をとることにした。彼らは、1時間半後のコンスタンツァ行きに乗るそうだ。

 一時間後、お世話になった2人に別れを告げ、列車でブラショフへ向かった。

 一等車のコンパートメントに乗った。先客のおっちゃんが寝ていた。

車窓からは夕暮れの空と真っ白の雪の大平原、たまに見える集落。

あれ?何か動いてるぞ! それは、馬車だった。馬がそりを引いて列車と平行に走っていたが、列車に追いつけるわけもなく、後ろに消えて行く・・・

しばらくすると、車掌のおばちゃんがチョコレートとジュースと新聞を配り始めた。さすが一等車、至れり尽くせりですなぁ。

しばらくして、また車掌のおばちゃんがやってきた。おばちゃん、こんどはノートを持ってきた。なにすんだろう。

おばちゃん、そのお客のおっちゃんに何か頼んでる。

おっちゃんは、内ポケットからおもむろにペンを取りだし、ノートに何か書き始めた。

どうやらそのおっちゃんの横顔の似顔絵らしい。そして、その横にサインをした。

おばちゃんに訪ねた。 「彼は画家ですか?」「いいや、彼はコメディアンよ。」

意外な返答。詳しく聞くとどうもテレビに出ているルーマニアでは有名なコメディアンらしい。

ルーマニア版ジローさんってとこかな?

 ブカレストを発って2時間後、午後6時頃、ブラショフの駅に列車はすべりこんだ。

 

第8話 「ブラショフの宿」

 やっと着いたブラショフ、でももう6時半。これからホテルを探さないとなぁ・・・

めんどくさいなぁ。駅から町の中心部まで遠いみたいだし・・・

駅の出口へと続く地下通路を歩く。ジプシーの子ども達が近づいてくる。マネー、マネーの大合唱。でも無視しておこう(やつら結構金持ってるらしいですよ)

駅の出口でうさんくさそうなおばちゃんが声をかけてくる。

「コンニチハ」「コンニチハ」「My name is Maria.」

どうやら部屋を斡旋してくれるらしい。小さなノートを取り出して僕に見せた。

そこには、日本語・英語・中国語・韓国語などの言葉で彼女が民宿の斡旋業者で、良心的な値段で紹介してくれるよ、ってなことが書いてありました。日本人による筆記がいくつかあって、その日本語が彼女には書けないような高度なものだったので、まあ信用しても大丈夫かな、これからホテルを探すのもめんどうだし、だまされたと思ってついていく事にした。

1泊15ドル。4泊目からは10ドル、7泊目からは5ドル。

何というアバウトな値段の決め方!(結局5泊することになったんですが)

マリアの旦那のグレッグの運転する今にも壊れそうな(実際、助手席のシートのリクライニングのレバーは壊れていた)車に乗り、宿泊する家に着いた。

・・・このグレックっていうのがハルクホーガン似の胡散臭いおっちゃんで、英語があまり出来ない。それなのにわかってんだか、わからないんだか知らないけど何でも答えは「ノープロブレム」それだけ・・・。

きれいでなかなかいい感じ。ルーマニアにもこんな家があるんだねぇ。

一通り説明を聞いて、飯を食いに行くことにした。

町の中心部まで歩いて15分(マリア曰く)、他に泊まってる日本人が食事をしているレストラン・グスタリへ向かう。零下10度の凍った道を一人中心街に向かうのであった。

 

第9話 ルーマニア最初の夜

 零下10度の凍った道を一人中心街に向かう。大通りに出た。

なんか屋根に変な棒をつけたバスが棒から火花をとばして通り過ぎて行く。

「お、これは昔なつかしいトロリーバス!」

日本では今や立山に行かないと乗れない前世紀の遺物が走って行く。でもこればかりじゃなくて車のほとんどが前世紀の遺物だけど・・・。市民劇場を過ぎ、この町で一番大きなホテル・キャピトルの前を通ると、おばちゃんが僕に英語で話しかけてくる。「女の子紹介するよ」この国ではコールガールの斡旋業者がかなりいるみたいだ。

(【注釈】このあたりかなりルーマニアを悪く書いてますね、ルーマニアのみなさんごめんなさい)

キャピトルの前から歩行者天国の煉瓦道が始まる。夜8時過ぎでもう市民達は家に帰るみたいだ。町の中心の広場に到着したのは、民宿を出てから30分後だった。

全く何が15分だよ、やっぱマリアは何か胡散臭い。

「グスタリ」はすぐ見つかった。店にはいると、長髪の日本人と男性と外人が話をしている。日本人の方は洋一君、もう一人はイギリス人のアンドリュー。彼らはもうご飯を食べ終わって話をしていたようだ。2人ともマリアの紹介した民宿に泊まっているそうだ。しかも僕の泊まる部屋(2F)の1Fに泊まっているそうだ。(【注釈】よういちくんは平塚在住で、今でも親友と呼べるくらいにの友人です)

今日の夕食は、スープ、ワイン1本(グラス1杯のつもりだ頼んだら1本来てしまった)、メインディッシュ(サルマーレ:酢キャベツのロールキャベツ)、パン、パパナッシュ(デザート)。しめて約11000レウ(ルーマニアの通貨)。

(【注釈】よういちくんに今でも「よくあの時ひとりで一本あけたね」と言われる。だって残すのもったいなかったし・・・)

ってことは、1ドル=3000レウだから、3ドルから4ドル、あんなに食べて300から400円!飯が安い!

でも、あんまりうまくない。

11時頃グスタリをでた。3人で約30分の夜の散歩、零下10度の夜(キャピトルの前に温度計がある)、ああ、頭がキンキンする、あのルーマニア人のおっちゃんの毛の帽子がほしい(ロシア人がよくかぶってるやつ)。

こうして2月24日がやっと終わった(第9話にして)。

 

第10話  シナイヤへ行こう!

 2月25日(日)

 今日は列車に乗ってシナイアという町に向かう。11時頃、ブラショフ駅からブカレスト行きに乗る。1時間ぐらいで目的地のシナイアに着いた。

 シナイアは、日本で言うと軽井沢、かな?山ん中のリゾート地で昔の王様や最近だとチャウシェスクの別荘があったところで、その中でも特に有名なのはペリショール城とペレシュ城。そのほかにもシナイア僧院という教会もある。

 駅をでて、とりあえず飯にしよう。適当に入ったレストラン、朝、食べてなかったんでいきなりのビックランチをとる。でも3ドルくらいで済んでしまう。ルーマニアはいいでー、なんと言っても飯が安い!!!

 とりあえずペレシュ城に行った。案内人が団体を連れてまわるスタイルを取っていたので、ドイツ人のグループに入れてもらって中をまわる。ドイツ語の案内であまりよく分からなかったけど・・・。中はバロックとかルネッサンスとかの様式の部屋がたくさんあった。中でも驚いたのが武器の間って部屋で何だか古今東西の剣とか槍とか盾とかとにかく沢山!!日本刀や手裏剣もあったのには驚いた。

 シナイア僧院に向かう。さっき駅から来て通り過ぎて城に来たので、駅に戻る形になる

。中にはいるとイコンがずらり!カトリックの教会とは違ってステンドグラスやマリア像はない。入口の所の売店にイコンが売ってあったので早速買った。外から僧院を見ていると、ルーマニア正教の僧侶が出てきた。若い(30代)の人だけど、顎には立派な髭をたくわえている。これぞ東方正教の典型!チョーカンドー、ってかんじ!僧侶は長い木の板をたたき始め僧院の周りを歩き始めた。どうやらお祈りの時間のようだ。

じゃまにならないようにシナイア僧院を後にした。

 

 

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