レバノン・シリアへの旅

2001年初夏

 

 1997年にシリアとヨルダンを訪れましたが、シリアに再度行きたくなったのとお隣のレバノンにも行っておこうとこの旅を企画しました。前回(1997年)はシリアに少し警戒心があったので自由主義陣営に近いヨルダンから入国しシリアに陸路入国する方法をとりましたが、今回はダマスカスに直接降り立ちます。これは前回の旅でシリアに慣れたのと、アラビア語の学校に通い出してダマスカスに留学していた方の話を聞いて事情がよくわかるようになったからです。

 

<<参考リンク>>

1997年初夏シリアヨルダン

レバノンとシリアの位置

 

<編集中>

 

日程は以下の通り。

 

4月26日(土) 成田 =>(空路)=>モスクワ(泊)

4月27日(日) モスクワ =>(空路)=>アンマン(ヨルダン)=>( 乗合タクシー/国境越え)=> ダマスカス(シリア)泊

4月28日(月) ダマスカス==>パルミラ(宿泊)

4月29日(火) パルミラ=>(バス)=>ホムス(宿泊)

4月30日(水) ホムス ==> クラックデシェバリェ(十字軍の城) ==> ホムス ==> ダマスカス(宿泊)

5月 1日(木) ダマスカス(散策)=>( 乗合タクシー/国境越え)=>アンマン(ヨルダン)宿泊

5月 2日(金) アンマン=>( ミニバス)=>ワディ・ムーサ宿泊(ペトラ遺跡散策)

5月 3日(土) ペトラ遺跡散策/ワディ・ムーサ(宿泊)

5月 4日(日) ワディ・ムーサ==>アンマン =>(空路)=>モスクワ(宿泊)

5月 5日(月) モスクワ(ほぼ一日缶詰)==>(空路)=>成田(翌6日着

 

 空路は安いアエロフロートロシア航空を使いました。まあ安さの他にヨーロッパ経由だと行きすぎてしまい距離的にちょっともったいないので、すぐ真南のロシア経由を選んだという理由もあります(下記地図参照)。とはいえ、結果的には乗り継ぎの関係で帰りはほぼ一日ホテルに軟禁された訳ですから、どっちがいいんだかようわかりません。

 

ダマスカスへの空路

4月29日(土)

 

 

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 都内の自宅を9時に出発し、成田空港に向かう。成田空港のHカウンター(団体旅行専用カウンター)にて旅行会社の職員から航空券を受け取り、アエロフロートロシア航空のチェックインカウンターへ・・・。

 そうそう、この時代の格安航空券はツアー会社でツアー(架空に近い)に申し込んでバウチャーを貰い、当日に空港にて航空券と引き換えるんです。その航空券を持って各航空会社の窓口にてチェックインするんです。最近は海外に行ってないので、最近の事情はわかりません。

 13時成田発のモスクワ経由ローマ行きのフライト(エアバス)のようです。席の周りの人たち(日本人)はみんな「地球の歩き方 イタリア」を出して読んでます。僕はモスクワでトランジット(乗り換え)て、ヨルダンの首都「アンマン」に向かいます。日本とモスクワとの時差はマイナス5時間、腕時計の針を5時間遅らせます。モスクワ時間の19時過ぎ、正味11時間ほどのフライトでモスクワに到着しました。5年ぶりのモスクワ・シェレメチェボ第2空港です。アンマン行きのフライトは翌日ですので、この日はモスクワで一泊です。ノボテルという国営の高級ホテル(バックパッカーの間では「監獄」と呼ばれている)に宿泊しました。

トランジットの手続が遅く、正味1時間くらい待たされている間に、数人のアンマンへ向かう日本人旅行者と仲良くなりました。

 

(※ノボテルが監獄と呼ばれたゆえんは、一旦部屋に入ってしまうとトランジット客は外出できないからです。文字通りの「缶詰」で

す。泊まってる階のフロアには出られますが、他の階には行けません)

 

(※以前あったトランジット客向けのモスクワ市内観光ツアーは廃止されたとのことでした。これを期待していたので残念でした)