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バックパッカーという生き方(2) 2002年10月1日(火)

 

 ジミーの今の仕事は、バンコクで安く仕入れたジダンやベッカムがプリントされたTシャツを日本に持ってきて売ることである。これがかなり儲かるらしい。多いときには一晩で50万円稼ぐという。彼の仕事場は表参道の歩道上だったり、Jリーグの試合会場である各地方都市のスタジアム前であったり、様々。特に試合終了後のスタジアム前は飛ぶように売れるらしく、それをねらって遠く九州まで足を運ぶこともあるらしい。ステファンもジミーに誘われてこの仕事を手伝っている。売上の3割が彼の取り分だそうだ。ジミーはトヨタカップまでこの仕事を続けると言っていた。そして、その後はフィリピンかモザンビークにでも行って、半年間の休暇にはいるらしい。

 ステファンはさっきまで、あと2週間ほど滞在の後、日本を去って母国のフランスに帰ろうと思っていたそうだ。しかし、先ほどの打ち合わせでジミーに諭されてステファンもトヨタカップが終わるまで日本にいることになった。まったく、彼らのアバウトな時間感覚には開いた口がふさがらないというか、なんというか・・・。ま、1年以上も旅していると、3ヶ月ぐらいは大した時間ではないんだろうなぁ。

 ステファンとジミーはもともとは半年ほど前にモザンビークで知り合ったそうだ。モザンビークでは二人ともスキューバのガイドのバイトをしていたようで、モザンビークという国をかなり気に入っていた。ずっと住むならモザンビークがいいらしい。モザンビークってそんなにいい国なのかなぁ、ぼくには政情不安な危ない国にしか思えないけど・・・。彼らにいわせると政情不安であるといわれる国は首都が危ないだけで、田舎に行くと全く問題にならないらしい。

 周之家という安い中華料理店で酒を飲みつついろんな話をしたが、印象的だったのがジミーが話した日本観とアメリカ論だった。彼の見た日本人は、あまりにも歴史、特に第二次大戦頃の歴史を知らないことへの驚きと呆れであった。それは日本が周辺国にしてきたことであったり、逆にアメリカにされたことを知らずに無邪気にアメリカに憧れる者たちに対するものであった。彼のアメリカ論では、アメリカほど今世界中で嫌われている国はほかになく、今のアメリカは60年前に日本と非常によく似ているというものであった。世界中を旅してきた彼がいうのだから、その言葉には非常にリアリティを感じる。

 しかし、こんなディープな話をしつつもジミーに目は常に遠くをみつめていた。ぼくの方を見ていても、ぼくをすっかり通り越してぼく後ろをみているかのような視線を終始投げかけていた。決して上の空ではないのだが、しかしどこか見透かされたような仙人のような世俗を超越したようなそんな目を持つ男であった。ヒッピー風のロンゲのボサボサ頭はそんな彼の仙人らしいさを助けているかのようだった。後で洋一くんと二人で話したときに、彼もそのジミーの目に気が付いていたことを知った。そして二人であの目はなんだったのか、長い旅の中で培われた悟りの目なのか、はたまたガンジャ(ハッシッシ)のやり過ぎなのか、と話した。

 「人生は旅である」、とよく言われる。それをそのまま実践しているのが彼らなのか。しかし、何か違うな、と感じた。旅をはじめて1年半のステファンにはまだ喜びがあり、旅を楽しんでいるという感触があり、好奇心があった。

 でも10年以上も旅をしているジミーには何かがなかった、そう好奇心と旅をしているというリアリティみたいなものがなかった、いやそれだけではない。何か足りない、その喪失感を感じている、その失われた何かを求める目がジミーの遠い目だったのだろうか。

少し考えすぎかな・・・。

 

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