ロバのティールーム >> ロバのコラム目次<時系列> >> ロバのコラム_2001/07/05

ゴッドファーザーの歴史性 2001年 7月 5日(水)

 

 今夜、テレビをつけたら12チャンネルで「ゴッドファーザー PARTIII」がやっていた。そう、あの暴走族の音でおなじみの「ぱららぱらぱらぱらぱらら~」のゴッドファーザー、見るつもりなかったんだけど思わず最後まで見てしまった。あ~あ、ホントはアラビア語の予習しようと思っていたのに・・・。たまにはいいか。

 パート2までは見たんだけど、3は初めて見た。マイケルがおじいさんになっていた。やはり主な筋は金とギャンブルと殺しと権力闘争と女、ただ前作と違うのはビジネスのやり方、殺しの近代化など、さらにローマ法皇庁まで巻き込まれていくというのはなかなか大きな話だった。

見た人はたくさんいるだろうな。

 ま、筋についての込み入った話はしないけど、言えることは人間いつの時代のやることはあまり変わらないってことかな。殺しが殺しを生み、悲劇が悲劇を生む。やられたらやり返す、しかしやり返せば必ず戻ってくる。それが直接的であろうとも間接的であろうとも。まさに「歴史そのもの」じゃん。いつの時代も人はなぜ権力や金を手に入れようとするのかな。その代償はあまりにも大きいのに。歴史がそれを物語っている。権力を手に入れた者は必ず墜ちるし、金を手に入れた者も必ず奪われる。人間の歴史はその繰り返しだね。しかし、墜ちるのがわかっていても上を目指すのはなぜなんだろうか?まさかその事実に気がついていない輩はそうはおるまい、気がついていてもなぜか目指してしまうんだろな。

 マイケルも同じさ、彼が何人もの命を奪ってはい上がって生きてきた代償は娘の死だったんだよなあ。マイケルが神への許しを乞うたとき、神は「今までの罪の分娘を差し出せ」と言ったのかも知れない。いつでも相手の命を奪えるということは、相手に命をいつ奪われてもおかしくないということなんだな。因果応報か、よくいったもんだ。

 ぼくは知りたいね、「人はなぜ自分の必要以上にモノやカネを欲しがるのか」「人はなぜ人の上に立ちたがるのか」、この難問を解いたら、歴史のメカニズムの一端を垣間見ることができるのかもしれない。