ロバのティールーム >> ロバのコラム目次<時系列> >> ロバのコラム_2001/03/06

人工物と自然 2001年3月6日(火)晴れ

 

 ぼくは都会よりも田舎のが好きだ。たしかに子供の頃、田舎に住んでいた経験がある。その影響を大いに受けているのも確かだ。だけど、それ以上に都会と田舎には決定的な違いがある。それが「人工物」と「自然」の存在だ。当然、都会には人工物が多く、田舎には自然が多い。つまりぼくは人工物より自然が好きなのだ。

 では人工物と自然の違いとは何か?

 いろいろあるけど、そのなかの1つは「意外性」だと思う。人工物には意外性がない、なぜならその存在一つ一つに意味を持たせて人間が作り上げたものだからだ。駅は駅であり、道は道であり、ビルはビルである。遊園地にしたって「遊ぶために作った施設」という意味づけがなんともいやらしい。何か先回りされているようで、わざとらしいのだ。だから遊園地には行かない。一方、自然にはあらかじめ与えられた意味がない、いや人間が何かつくろうとする以前からそこに存在したのだからあたりまえなのだが、自然物を見るたびに新しい発見をする。毎回、対象物の別の側面を見いだしているような気がする。そんな多様性がおりなす意外性が好きなのだ。

 人工物とはいったい何なのか。材料はともかくとして(当然自然界のものを加工することになるのだが)、人工物には人間の思想が反映されているのは確かだ。それは思考の世界を通過したもの、すなわち「分ける」という作業の洗礼を受けたものである。人間が創り出すモノは境界面が非常にはっきりしているモノが多い。境界面をはっきりさせるということは、すなわち、合理的であるということ。合理的なモノとは「分けられたもの」なのである。一方、自然界のものは境界がはっきりしないモノが多い。一見、はっきりした境界を持ち合わせているように見えても、拡大していくと新たな構造を見いだすこともある。いわゆるフラクタルやカオスといったものを見いだすことが多い。

 話を広げすぎた。収拾がつかなくなってしまった。尻切れトンボだが、続きは次回に譲ろう。