ロバのティールーム >> ロバのコラム目次<時系列> >> ロバのコラム_2001/02/23
歴史について(5) 2001年2月23日(金)快晴
歴史について書こうとすると、とめどなく言葉が出てきてしまう。それほどに不思議で魅力に満ちあふれている学問である。前回は歴史の逆説性について書いたけど、その付け足し。実はあれは寝る前に書いていたんで眠くて、途中で切り上げてしまったのさ。
逆説性ついての例は、あの2つの例にとどまらない。歴史のあらゆるところにそれが見られる。
例えばスペインやポルトガルが世界を席巻したことについてはどうだろう。スペインやポルトガルはヨーロッパ大陸でも一番端っこ、大航海時代以前においては経済活動や影響力においても弱小とよんでもよい状況にあった。ま、それ以前はイスラム王朝があったことから、ヨーロッパよりもアフリカや中東にベクトルが向いていたんだが、それはおいといて・・・。カトリック教徒によるレコンキスタで、ヨーロッパのキリスト教文化圏に取り込まれるわけだが、ヨーロッパの中心への方向、つまり東方向への影響力の拡大は無理であった。で、眼をつけたのが反対側、西の海への方向、そこには未知の世界が広がっていたわけだ。地救球体説も手伝ってか、一攫千金を目指し、航海者たちは西の海へ旅立っていったのだ。それが大航海時代以後のスペインやポルトガルの大躍進につながる。ここでもかの逆説性、ヨーロッパの中心ではなく端っこに位置していた、という事実が歴史を動かす原動力となったのだ。
枚挙にいとまがないが、最後のオスマントルコの軍隊について。ご存じかも知れないが、オスマントルコの軍隊は「イェニチェリ」という奴隷によって組織された軍隊であった。占領地の若い異教徒(非イスラム教徒)を捕まえてきて、彼らを改宗させ教育し軍隊に仕立て上げたのである。まあ、ここまではよくある話であるが、この後が面白い。なんと彼らは歳をへるにつれて影響力を増し、最終的には宰相にまでなる人もいたという。奴隷が権力者となるのだ。忠実なスルタン直属の軍隊を作るという発想が彼らに国を乗っ取られるという形になったのだ。
さて、結論に行こう!、と思ったらタイムリミット。つづきは次回に・・・。