ロバのティールーム >> ロバのコラム目次<時系列> >> ロバのコラム_2001/02/19
歴史について(4) 2001年2月19日(月) 快晴
「毎日書く」と宣言しておきながら、すこし間を開けてしまった。まあいいさ、人生は長い。そういえば「人生は短く金は少ない」と言った人がいたっけな、まあいいさ。ブレヒトだったかな・・・。
歴史について、どんなことを書いてたっけな。まあいいさ、つれづれなるまま書こうとしようか。
さっき何気なく見ていたニュース番組である閣僚?の失言が報じられていた。なんでも「東南アジアが独立できたのは日本のお陰だ」と言ったらしい。ああまたかいつものやつね、と聞き流そうとしたとき、ふと思った。たしかにそうともいえる。いや、ぼくは彼の発言を肯定しているわけではないし、右翼でもない。おそらくその閣僚はヨーロッパ列強の植民地であった東南アジアに日本が軍隊を送り込んで解放した、とでも言いたかったのだろう。しかし、ぼくが思ったのはもっと別の視点である。つまり日本による占領政策自体が独立への強力なバネになったことである。欧米列強の植民地政策は確かにひどかった。そんな中に「解放者」として「大東亜共栄圏」を掲げた日本人が東南アジアに侵出してきた。最初は日本に期待したであろう東南アジアの人々だが、日本もそれまで支配していた欧米列強とさして変わらないことがわかるないなや、彼らは抵抗と闘争に走るのである。2度目の失望が支配者のいない自分たちの国をつくろうとする動きに拍車をかけた。こういった意味で「日本は東南アジアの国々の独立に貢献した(皮肉な意味で)」といえるかもしれない。
こんなことを思いつつ、さらに歴史について考えた。同じ様なことが他にもあることに容易に気がついた。そう、シオニズム運動だ。イスラエルの建国がなぜあの時期に起こったのか、それには前述の東南アジアの例と非常によく似ているように思えるのである。つまり当時、ヨーロッパでは以前になかったような大規模なユダヤ人排斥のムードがあった。ナチスの強制収容所がその風潮のもっとも頂点達したときではあったが、それよりも100年ほど前の19世紀初頭ぐらいからユダヤ人の排斥は起こっていたようだ。ヨーロッパで迫害されたユダヤ人は、自分たちの行き場を求めていたが、その白羽の矢にたったのが彼らにとっての「約束の地」であった。
さて、何が言いたいかといえば、「歴史の動きは得てして逆説的だ」ということ。つまり何かの大きな運動の裏にはそれを否定する運動が隠れているということ。そしてその正の運動はその負の運動によってより正へ加速されていく、ということ。そんな歴史の性質をふと考えたのであった。
(つづく)