会合日時:2001年 6月16日(土)

担当:ちーぼー

テーマ:「 日 本 の お 葬 式 」

 

私は今まで何回かお葬式(父方の祖父母、叔父、母方の祖母)に参列したことがあります。

お葬式のやり方は、信仰している宗派だけではなく、地域によっても差異があることを知った時、

「お葬式」という儀式への強い興味を持ち始めました。

興味は持っているけれど、今まで積極的に調べたりしなかったのは、“死”への恐怖心があって、

それに関連する儀式である「お葬式」を自分の心の中でタブー視していたからだと思います。

なぜ死に恐怖心を抱くかと言えば、私の場合、近くにいる家族や友達と会えなくなる寂しさや、

自分が死んだ後はどうなってしまうかとか…天国と地獄があると話も聞くけれど、本当にあるとしたら

どんな世界が広がっているのかとか。死後の不透明な部分に対する恐怖心を強く感じています。

お葬式が習俗ならば、その中にいろんな民族の死に対する考え方が見えてくるはずです。

今回は、日本のお葬式とお墓について取り上げながら、“死”について考えてみたいと思います。

 

 

1. お葬式とは宗教ではなく習俗

 

 習俗…それぞれの民族が持っている習わし

 宗教…厳しく個人の選択が問われる精神の営為

我が国の宗教の現状⇒習俗を宗教の中へごちゃ混ぜに入れ込んで、都合の良いところで

               宗教の教理を力説し、別の都合では習俗を持ち出しては宗教で

               あるかのように見せかけ、迷信の粉をまぶして人々を脅して

               利益を得ているものも少なからずあると考えられる。

               特にそれは、「お葬式」という死にかかわる場面で多く見かける。

 

* 死ぬのは肉体か霊魂か?

 

 人間とは肉体だけでできているのか?

 

  「人間機械論」 ラ・メトリー

   人間は単なる機械でしかない。肉体を持ったひとつの機械、それが人間であり、

   いわゆる魂などというものは存在しないという考え方。

 

 キリスト教では霊肉二元論…肉体というのは霊魂の宿る借家みたいなもの

                   だから、キリスト教圏では臓器移植にあまり抵抗がないのか?

 

今の医学書を見ても、死は“肉体の死”と限定して書かれている

つまり、お葬式にはどういう意味があるのか?と問うた時、肉体の死と限定して答えを求めれば、

お葬式というのは単に「肉体の処理、死体の後始末」ということになってしまう。

しかし、お葬式には「肉体と魂の処理」という2つの次元がある。

 

* 通夜は死の判定期間

通夜は仏教だけのものではなくて、どの民族でも行う。なぜなら、古今東西を通じて死の確認は非常に

難しいものだった。その死の確認ができるまで、みんなで死体の見張りをしようとなったのが通夜である。

それは、死体(穢れや不浄というイメージを持つ)が起き上がってきたら困るから行った。

 

* 死をケガレと考えた日本人

 

古代の日本人は、死を「ケガレ」と考えた。(不潔な意味ではない)

由来…古代神道には “ハレ”と“ケ”という考え方がある。

 

“ケ”=「気」 日常生活の中で気が弱まってくることを「気枯れ」と言い、ケガレとなった。

“ハレ”=弱まった気を回復するため、非日常的なお祭りを行う 「晴れ着」「晴れの門出」

      そこから転化して“ケガレ”は不浄をも表すようになった。

 

黒不浄…死を意味する  赤不浄…神様が不浄のものとして嫌う血を意味する

 

昔の人は、死者が持っているばい菌(不浄なもの)、つまり穢れ(ケガレ)は必ず死者の肉親や

周囲の人たちに伝染すると考えていた。(平安時代初期の「延喜式」に詳細が記されている)

 

* 「忌」と「喪」の違い

 

「忌」…社会的に一定の期間行動を慎むことが強制されること。つまり四十九日のこと。

忌中にある時は、死の不浄をまきちらすから他の人と接触してはいけないという考え。

 

「喪」…自発的に故人のために自分の行動を慎むことをいう。他人との接触は禁じられていない。

忌中でも喪中でも、本来の意味からすれば、四十九日を過ぎれば年賀状などのやり取りはOKということ。

 

儒教では…「喪に服する」 父親や母親が亡くなった場合には、喪に服するのは喪主の当然の義務。

       だいたい3年は喪に服するようにという習わしがある。

 

神道では…死んだ霊魂が神になるのには33年はかかるとしている。

       三十三回忌というのは、神道的な考えから出ている。

 

このように、仏教的な意味をもつことが習俗的なものへと変化して、日常生活の中にも溶け込んでいて、

これは仏教の教えです、と宗教と習俗を腑分けすることは難しい。

日本の場合、神道や儒教の考え方も溶け込んでいて、それらが仏教の考え方と習俗と混ざり合っている。

こんなにも習俗にこだわりをもってしまうのは、やはり死への恐怖心を強く持っているからであろうか。

 

* 仏教は本来葬式をしない。

「マハー・パリ二ッバーナ経」(大般涅槃経 だいはつねはんぎょう)

お釈迦さまは、自分の秘書官であるアーナンダに次の様な指示を仰いだ。

「自分の葬式は在家の人間がやるので、おまえたちはそんなことにかかわらず修業せよ」

つまり、お葬式は宗教の問題ではないと言っている。

今でも南都六宗といわれる奈良の寺院では、お葬式は一切やらない。

 

では、なぜ日本のような「葬式仏教」が生まれたのか?

 

*お坊さんが本格的にお葬式を始めた時期と理由

 

 時代:江戸時代  理由:キリシタンの取り締まりのため

 

 檀家制度…キリシタンでないことを証明させるために、日本人全員をお寺に登録させた。

         つまり、お寺が役所の戸籍係と同じ役割を担っていた。

         「宗門人別帳」によって、 寺の檀家であることを証明し、

         その証明がない限りキリシタンだと疑われる制度。

 

キリシタンにとって、「死の秘蹟」という考え方があるので、キリスト教式のお葬式が重要性を帯びる。

よってお葬式をチェックすればキリシタンの取締りができるので、幕府は仏教式の葬式をやるように命じた。

             ↓

檀家が行う葬式を執行する権利を持った寺院は経済的な力をつけていく。

役所的な役目も持っていたので、檀家に対して一種の権力を持つようになる。

何かあれば「おまえキリシタンだろう。宗門人別帳から消すぞ」と脅かすこともできた。

檀家はそのような脅かしを恐れて、派手に葬式をやらなければならなくなる。

 →“葬式仏教”の基礎が築かれた 

 

 「死の秘蹟」とは?…亡くなる人に終油という油を注いで苦痛を取り去り、心に平安を与える儀式。

              この儀式によって、死者は天国に行ける保証を得る。

 

 江戸時代の仏教は、神道や儒教、その他なにもかも取り入れて、

 法事や追善供養などの理論を作り上げ、財政の基礎としていった。

                   ↓

 日本人独特の“死後の世界観”のようなものが形成されていた。

 

   荒御霊(あらみたま)…人間の死んだ直後の霊魂は荒れているから。

   精霊(しょうりょう)…荒御霊のうち、一番荒れた状態

     そして、遺族が荒御霊を丁重に鎮魂の儀礼をしていけば、

     最後には和御霊(にぎみたま)になるとされていた。

     この精霊と荒御霊の段階を「ホトケ」、和御霊になった霊魂を「カミ」と言った。

     日本の仏教には「禅と浄土」の2つの考え方が底流として流れている。

 

  禅の教え…死後の世界や、霊魂はあるかないかなどといったことは

          一切考えないでいられる精神力を養うこと。→座禅の目的となっている。

 

  浄土の教え…禅の教えのように、強い精神力を養う時間や力のない人間は、

           阿弥陀仏を頼って死んだらお浄土に行くのだと信じなさいということ。

           信じていれば何も考えずにいられるというのが浄土の教え。

 

* 葬儀というのは、人間が古代から死者の幸福を願ってきたということが一つの要素としてある。

  死者の幸福ということは、少なからず霊魂の存在を考えてのことだと思うが、

  その死者が幸福になれる条件として、次の6通りぐらいの観念がある。

 

  1.死者の生前の身分で、死後の幸福が決まる

  2.死者の生前の善悪の行為の累積で、死後の幸福が決まる

  3.死者の死の直前の行為で死後の幸福が決まる

  4.死者の死後の行動によってその幸福が決まる

  5.生前の、死者の遺族の行為によって死後の幸福が決まる

  6.死者の死後における遺族の行動によって死者の幸福が決まる

 

2.お墓に見る供養の本質

 

お墓とは、基本的には「死体置き場」である。遺体を捨て、死んだ人を封じ込めることが主目的。

同じ日本でも東西の習俗の違いによって、お墓にも違いがある。

 

東…単墓制    西…両墓制(「埋め墓」と「参り墓」の2つの墓を作る)

 

仏教の身体観と遺骸観は身体・遺骸に執着しないのが基本的立場である。

仏教の基本的思想は縁起思想であり、「五蘊仮和合(ごうんけわごう)」という考え方がある。

私たちの身体と心は、心身を構成する色(しき)(かたち、物質)・受(感受作用)・想(表象作用)

行(意志作用)・識(認識作用)の5つの要素である五蘊が仮に集まって構成されると説いている。

したがって、死によって五蘊は離散する運命にあるのであって、仮の存在体である身体そのものに

重きをおくものではないという考えなのである。密教では五大(地・水・火・風・空)として説かれている。

もともと五蘊(または五大)は、縁によって仮に和合したものであるから、死によって元の状態に

戻してやることが本来の葬法ということになる。

 

* 宗教によって異なる葬制

 

日本(仏教)…わが国の習俗としては土葬が基本であったが、戦後急速に火葬が普及

インド(ヒンドゥー教)…古くから火葬が行われてきた。輪廻転生を信じているので墓は作らない。

              しかし、聖者が亡くなった場合は墓を作る。

              荼毘に付して煙とともに天に昇った魂は輪廻するという考え方。

イスラム教…火葬にすれば必ず地獄に落ちると信じているので、土葬を行う。墓は作るが墓参りはしない。

 

このように葬制は、宗教の信仰によって異なるし、民族ごと、地域性などによっても異なる。

火葬、土葬、風葬、水葬などの様々な葬り方がある。

インドと日本は同じ火葬であるが、インドでは骨も残らない温度で火葬にして一切合財川に流す。

日本の場合、骨が残るように温度設定が工夫されている。→日本人は骨に対して執着がある。

最近は、骨壷を割れない骨壷にして欲しいという要望が多いらしい。

骨壷を収納するお墓の下の部分をカロートというのだが、カロートの中は冬になると温度が下がる。

すると、水分を含んでいる素焼きの骨壷は凍って割れる。割れれば骨が骨壷からはみ出て自然に遷ると

いうのが当たり前だったのに、お骨はいつまでも残らないと困るという声が多いらしいのである。

骨壷が割れないようにするということは、墓を大きくしなければいけないし、それなりの土地も必要となる。

これは墓不足の深刻化につながるだけではなく、お骨が自然に遷ることができない状態は、

仏教の「五蘊仮和合」の考え方にも反することである。

 

 墓不足に対応するいろんなお墓のかたち

 

 「合同埋蔵施設」…東京都が作った施設。ひとつのモニュメントを建ててその下に大きな納骨堂を作り、

             希望する都民がみんなそこに入るという制度。全部の費用が13万円。

 「大阪・一心寺」…庶民によって持ちこまれるお骨を集めて粉末にし、

            “お骨仏”という阿弥陀座像を造っている。

            明治12年から始まり、10年に1体のペースで造られる。

            平成9年に第12期目の仏像が開眼した。一種の合同墓と言えるであろう。

 

現実に都会では土地不足、墓不足が深刻化している。 

先祖代々の墓は、その家の家督(長男)が 受け継いでいくものであり、

分家(次男、三男など)は新たに墓を作らなければならない。

なぜ同じ家の人間なのに、一緒の墓には入れないのか?とても不思議に思う。

本家だから、分家だから、という差別がなくなれば、少しは墓不足の解消につながるのでは?

墓も習俗のひとつであるとすれば、時代の流れによって墓のかたちは変化しても良いはずである。

戦後の農地改革によって、寺院の財政基盤は崩れていった。檀家の寄進もあまり望めないとしたら、

お葬式や法要などによって利益を得ていくしかない。

本来の仏教の教えでは、供養してあげないとご先祖さまのバチがあたるぞ、という考え方はないのに、

迷信的なことを無理やり仏教や習俗と結び付けてしまっている点がある。

だから、日本の仏教は「葬式仏教」と批判の対象となるのである。基本的には習俗であるお葬式。

仏教とお葬式の関係でビジネス化している。葬式は、葬儀屋によって料金体系化された相場がある。

本来は師から授かるはずの戒名も「売り買い」されている現実がある。

参考文献「お葬式をどうするか」の中で、ひろさちや氏は“脅しの宗教”が多いと指摘しているが、

それは新興宗教だけに限ったことではないのである。

 

3.まとめ

 

私がこのテーマを選んだ理由の一つとして、ここ数年、“死”とどう向き合うか?という問いが、

私の心の中に強く存在していたことが挙げられます。

遅かれ早かれ、いずれは私も死を迎えるわけですが、それ以前に、自分にとって大切な存在の人の死、

例えば、家族や親しい友達などの死に直面した時。私はその“死”をどう受け止めて、どう生きていくのか。

“生きる”ということを強く意識して考えたからこそ、“死”に関することも深く考えてみたいと思いました。

 そのきっかけとなった出来事が2つあります。

まず1つ目は、私の父が「長く生きることができて、あと5年の命です」と病院でガンの告知をされたことでした。

「すごく元気そうなのに、仕事にも行ける状態なのに、なんであと5年の命なの?」と、

父の病気のことを真正面から受け止めることができませんでした。

その状況を、家族以上に本人が一番信じられなかったと思います。

治療を続けていくうちに、同じ病気の人たちがなくなっていく状況を目の当たりにし、

自分もいつかは死ぬのだということを肌で感じている人に、「大丈夫だよ、お父さんはきっと治るよ」

という言葉はとても無力だと感じました。実際に、入院して治療をしている父に、

「大丈夫。治療が終わったら必ず家に帰れるよ」なんて不確かなことを、私は決して言えませんでした。

いつも「また来るからね」という言葉を残して病院をあとにしていました。

「治療で入院する度に、もう家には帰れないのではないかと思う」という話を、父から聞いたことがあります。

父自身、死のへ準備期間というか、“人生の最期を迎えるための生き方”みたいな事を考えているようです。

父のいろんな思いを感じた時に、私は“死”というものに真正面からぶつかってみたいと思いました。

そして2つ目のきっかけは、家で飼っていた子猫が、私の手のひらの中で息をひきとった事でした。

たった10分か15分の間に、子猫が死に近づいていく様子を凝視し、死ぬ瞬間に立ち会ったことによって、

言葉では言い表せないほどの重みを心に感じました。仔猫が死んでも、母親である猫は他の仔猫の世話に

専念していました。猫は、死産で産まれてきた子供は親猫が食べてしまいます。

うちの猫も例外ではなく、死んだ仔猫を食べてしまったこともあります。

とても非情に思った事があったけれど、最近それは愛情の深さ であると思うようになりました。

かわいい我が子が他の猫に食べられてしまうくらいなら親である自分が食べる、

という思いからなのかもしれません。仔猫が死んだ後、親猫は死んだ仔猫を気にして鳴いていたのですが、

その親猫は今を生きている仔猫の授乳や世話に専念していました。死んだ仔猫を忘れるかのように懸命に。

この2つのきっかけが、私の死に対する考え方を大きく変えました。

  私の死への恐怖感とは、大事な家族や友達と会えなくなることが寂しいような気持ちもありますが、

死んだ後はどうなるのかとか、死後の世界(天国や地獄など)があるのならば、どんな世界であるのか?とか、

死に関する不透明な部分に恐怖感を感じていたと思います。

でもそれは、いくら考えても答えが出せるものではありません。天国や地獄があるかないかとか、

霊魂は存在するかしないかとか、あると言えばあるのだろうし、ないと言えばないと言えるものでしょう。

考えても切りがないことだと思うのです。

心臓が止まり、呼吸が止まり、やがて体は朽ち果てていく…これだけは“死”としてゆるがない事実です。

中世ヨーロッパ、14世紀半ばの黒死病の流行を背景に、美術・文学の上で「死の舞踏」(ダンス・マカーブル)

が代表的な描写として現れてきました。天国と地獄という死後の世界のイメージよりも、

人間の死そのものがあからさまに表現されています。

そこには、骸骨や朽ち果てた屍など、リアルな死と死体のイメージが表現されているのです。

それらのイメージの中には、肉体的なもののはかなさや生の無常という意味が込められていましたが、

それだけではありませんでした。そこには、死に直面した人間の恐怖や死に対する畏敬の念、

そして生きることへの執着心が見えくるのです。

 仏教では人間の死を連続的に変化するものという考え方があります。

最初の100パーセント生の段階から、「生が90パーセント、死が10パーセント」と、

少しずつ「生がゼロパーセント、死が100パーセント」という状態へ向かっているという考えです。

死は特別な通過点ではなく、日常の生活の中にいつも存在するものだと思います。

お葬式の一番の目的は、やはり“遺族の心の整理”のためにあると思います。

仏教では死者を忘れることを教えているそうですが、それは決して非情な考え方ではないと思います。

死者の幸せを案ずることも大切かもしれませんが、

毎日を死者の思い出にしがらんで生きることはできません。

時代の流れによって、葬式や墓のかたちが少しずつ変化しています。

自然葬ということで散骨の流れがあったり、その散骨の一つの形として宇宙葬があったり。

またミイラの製造技術にならったエンバーミングという方法で遺体を保存する技術を

民間の人たちが利用している国もあったり。

お墓に関しても、いくら仏教で死者を忘れることを教えているからといって、

こんなにも根強く日本の習俗としてある以上、すぐに墓を作るのをやめることはできないでしょう。

しかし、新しいお墓のかたちとして合同墓が作られていることからすれば、

いろんなお墓のかたちを選ぶことができるような時代になっていくでしょうし、

それにともなって、自分自身の死に対する考え方が問われる時代になっていくのだと思います。

 私は“死”について考えることは、決して心が後ろ向きな状態ではないと思います。

死について考えていく中で、“生きる”ことに執着している自分に改めて気付きました。

生への強い愛着がなければ、今までこんなに死に対して恐怖を感じることはなかったろうし、

こんなにも多くの、死に関する思想や習俗は生まれてこなかったでしょう。

 

= = =  参 考 文 献  = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = == = = = = =

 

ひろ さちや著 「お葬式をどうするか ~日本人の宗教と習俗~」PHP新書

藤井 正雄 著 「死と骨の習俗」 ふたばらいふ新書 

小池 寿子 著  「死者たちの回廊」 平凡社 

梅原 猛 著  「地獄の思想」(梅原猛著作集4) 集英社

 

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