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中東キリスト教って?
中東キリスト教とは、文字通りに解釈すれば「中東に存在するキリスト教」となりますが、その通り!
中東は一般的なイメージでは、イスラーム世界だと思われているけれども、イスラーム教徒だけが住んでいるんではないんです。
少数ながらキリスト教徒のコミュニティが存在します。それはまるで、イスラーム世界という大きな海の中に浮かぶ小さな島々のように「ポツン、ポツン」とですが存在するのです。
中東をどの範囲と決めるかにもよりますが(中東の範囲については、ここ)、中東の中でもキリスト教徒の人口が多い地域は、エジプト、エチオピア、レバノン辺りでしょう。他にイラクやシリア、トルコ東部などにもキリスト教コミュニティは存在します。また、もう少し範囲を広げれば、カスピ海と黒海に挟まれたコーカサス(カフカス)地方のアルメニアやグルジアはキリスト教徒の人口が大多数を占める国々です。
これらのキリスト教徒がどのような人たちかと言えば、カトリックやプロテスタントといった欧米などで主流の宗派の人々ではなく、中東独自の宗派の人たちが大半を占めます。この中東独自の宗派とは、イエスや使徒行伝に記録されている教会の時代からそこにいた人々の子孫が受け継いだ宗派で、ヨーロッパ経由のヨーロッパテイストの入ったキリスト教ではない、いわば純潔の(こんなこといったらカトリックやプロテスタントの人たちに怒られそうですが、悪意はありません)キリスト教と言えるかも知れません。
中東キリスト教にも様々な宗派がありますが、それはおおむねその宗派が存在する地域によって分類することが可能です。
エジプトのキリスト教は、『コプト教(コプト正教)』と呼ばれる宗派が多数派を占めます。コプトとは、エジプト地方を指す古い呼び名のことで、エジプト地方のキリスト教といったような意味合いで使われているようです。現在のエジプト・アラブ共和国の人口のおよそ1割程度がこのコプト教徒であると言われ、国連の元事務総長であったガリ氏(正式にはガーリ氏)は、コプト教徒のなかでもわりと有名な方でしょう。
エチオピアのキリスト教は、『エチオピア正教』と呼ばれ、エチオピアの人口の半数がエチオピア正教徒であるといわれています。エチオピアでは、ローマ帝国よりも前の4世紀にはキリスト教を国教と定めた国であり、そういう意味では由緒正しいかも知れません。前記のコプト教と同じ宗派でしたが、近代になって独立したエチオピア正教会を設立しました。
レバノンのキリスト教徒は、『マロン派』と呼ばれる宗派が多数派を占めます。マロン派は、レバノンの人口の4割程度を占めると言われ、事実上レバノンの政治を牛耳っています。この宗派で有名な人は、日産の社長のカルロス・ゴーン氏です。
シリア、イラク、トルコ東部にかけて、『シリア正教』と呼ばれる宗派が存在します。これらの人々は『ヤコブ派』と呼ばれていましたが、この「ヤコブ派」という呼称は他宗派からの蔑称的な意味合いで使われていたため、最近ではシリア正教と一般に呼ばれています。
この宗派にぼくは大いに関心を持っていて、だいぶいろんなことを調べていましたので、後で詳しく述べます。
ここまでで記した『コプト教』、『エチオピア正教』、『マロン派』、『シリア正教』には、共通点があります。
この4宗派はいわゆる『単性論』と呼ばれるキリスト教のグループに分類されます。単性論とは、4世紀にローマ帝国のカルケドンで行われたカルケドン公会議にて、異端のレッテルを貼られ、そのためにローマ帝国の国教から外された教義のことを指します。ちなみにこの時に正統とされた教義の流れをくむ一派をカルケドン派とよび、このカルケドン派は後にカトリックやプロテスタント、東方正教会(ギリシア正教、ロシア正教、ブルガリア正教など)にさらに分派してゆきます。まあそう言う意味では、今世界にいるキリスト教徒の90%以上は(正確な数字はわかりませんが)、カルケドン派の流れをくむといえるでしょう。単性論は、大雑把に言えば、「父(神)と子(キリスト)と聖霊はひとつだ」という教義ですが(かなり乱暴な言い方なので、あとで詳しく述べます。)、カルケドン派は「父(神)と子(キリスト)と聖霊はつかず離れずだ」と言っています(これも相当大雑把)。
さて単性論派以外のキリスト教徒が中東にはいないのかと言えば、そんなことはありません。もちろん、カルケドン派の人もいます(これは中東では少数ですが、前述の東方正教会の人々が主です。カトリックやプロテスタントの人々は近代以降に改宗した人々が主。)。
しかし、このカルケドン派以外にもう一つ忘れてはならないのは、『ネストリウス派』です。ネストリウス派は、前に示したカルケドン公会議の前にローマ帝国からの主流から離脱した一派で、彼らはその後、東に逃れ、イラクからイラン、インドを経て、中国まで流れていった人たちです。唐の時代の頃の中国の文献の中で景教と記されているのは、このネストリウス派を指すと言われています。ネストリウス派は、「キリストの神性よりも人性を強く主張した」と言われ、前述の単性論とはほぼ反対側の過激な意見として、ローマ帝国の国境から排除されました(これも大雑把な説明ですが)。そして、このネストリウス派の流れをくむ一派が中東にも存在します。それはカルデア教会(またはアッシリア教会)と呼ばれる一派で、主にイラク周辺で細々ながらコミュニティを保っています。
さらに、カフカス(コーカサス)地方のキリスト教徒について述べます。カフカス地方は、旧ソ連の領土でしたが、ソ連崩壊後、グルジア、アゼルバイジャン、アルメニアの3カ国が独立しました。このうちグルジアとアルメニアはキリスト教徒が多く、それぞれグルジア教会とアルメニア教会があります。グルジア教会は