ぼくは理科と社会科が好きな子供でした。そしてそのまま育ち高校2年生になったときに、選択を迫られました。それは、理系に進むのか、文系に進むのか・・・、大学進学に際しての究極の選択です。いろいろ悩んだ末、理系に進むことにしました(今思うとこれは誤った選択だったのかもしれません、数学得意じゃないし・・・。ただ文系に進むと営業職しかないと当時は思い込んでいて、それだけはなりたくなかったため理系に行きました)。そして大学は化学系に進み、就職したくなかったので修士までいってしまいました(社会が怖かったのです、就職すると死ぬまで奴隷労働になると思っていた)。しかし1996年、とうとう化学系企業に技術職として就職することになりました。
24歳になる年に就職して、やはり何かが物足りない。もともと子供の頃は学者になりたかったので(サラリーマンばかりの周りの大人たちに散々「食えないからやめとけ」と刷り込まれて断念した)、サラリーマン生活は向いてませんでした。また理系に行ったことで、高校の時に捨てた社会科(歴史学)に未練がタラタラでした。就職して3ヶ月もしないうちに、会社を辞めて大学を受験し直して史学科に入り直そうかと本気で考えるようになりました。
そんなときに会社の先輩からモデムを貰いました。「モデム」と言っても知らない方がいると思いますが、要は電話回線を使ったパソコン通信(インターネットはまだメジャーでは無かった)をするためにパソコンと電話線を接続する装置です。まあ今で言うルーターとかそのたぐいですね。その先輩は新しく通信速度の速いモデムを買ったので、旧型モデムを僕にくれたのです。僕はさっそくそのモデムを使ってパソコン通信を始めたのでした。
パソコン通信とは、インターネットがまだ普及していなかった頃にユーザーがプロバイダーのコンピュータに接続して、その中で他のユーザーとメッセージのやりとりをするというシステムです。要は「閉ざされたSNS」のようなものです。プロバイダーのコンピュータには掲示板が用意されており、その掲示板上でユーザー同士がメッセージをやりとりします。当時メジャーだったのは今でもある「ニフティサーブ」です(ニフティーサーブはパソコン通信事業からは撤退しています)。
ニフティーサーブには「生涯学習フォーラム」という掲示板がありました。僕はここに「今年就職したが、やはり好きな歴史を勉強したいので大学に入り直したい」という自分の気持ちを書き綴ってみました。
そうしたらいろいろな方からアドバイスが来ましたが、その中に「大学の通信課程」を薦める方がいました。せっかく就職したのにもったいないし、先立つカネもないであろうし、またイチから入学してもカネがかかるし、歴史学で卒業しても仕事がないよ、と・・・。それならば仕事をしながらでもでき、学費も安い、通信課程をとりあえずやってみたらどうか、と・・・。
掲示板上でしばらくやりとりした後、その方(「Aさん」とします)と実際に会いました。確かお茶の水の喫茶店だったと思います。Aさんは40歳ちょっと前ぐらいの男性で、仕事をしながら法政大学の通信課程に在学中でした。確か「ソ連のネップ政策」で卒論を書いていると言っていました。Aさんから大学の通信課程の仕組みやカリキュラム、履修の仕方、卒論の書き方などいろんことを教わりました。そして大学の通信課程の一番の魅力はなんといっても「学費の安さ」であることを知りました。諸経費はかかりますが、それを除くと年間5~10万円程度の学費で済むことはやはり魅力的です。また学習の方法も、独学で勉強し、レポート提出して、試験を受ける、という基本スタイルであるため、通学と違って時間の制約がほぼありません。すなわち働きながら学べると言うことです。
この話に僕は飛びつき、さっそく入学することにしました。で、どこの大学の通信課程に入学するかを考えた際に、Aさんに相談すると「文系の学問はとにかく書物が命なので、図書館が充実している方がいい。お勧めは法政か慶應義塾」という答えが返ってきました。ちょうどその頃、大学の通信課程の合同説明会が催されていてさっそく行って情報を仕入れました。結果的に、慶應義塾大学の通信課程に入学することを決め、入学願書を大学に郵送しました。
大学の通信課程には入学試験がありません。正確には試験が全く無いわけではなく論文(A4で数枚)を書いて入学願書とともに提出します。その論文が一応入学試験の役割を果たしていますが、通学課程の一般の入試よりもずっと楽に入学できます。
しか~~~し、通信課程は卒業するのが大変なのです。
当時、慶應義塾大学の通信課程は入学者のうち卒業できるのは「3%」と言われていました。今では少し上がっている(といっても5%~10%)と言われていますが、今は昔より入学を厳しくして学生数を絞っているため結果的に卒業率が上がっているようです(それと学士入学という3年次編入者が増えたためとも言われています(※後述します))。
1996年9月、ぼくはこうして「慶應義塾大学通信教育部文学部第2類(史学専攻)」の学生となりました。大学はすでに出てましたので、学士入学という形(3年次編入扱い)となりました。学士入学は英語以外の一般教養科目が免除され、いきなり専門教育科目から学習できるのです。ちなみに高卒で入学する場合には通学課程と同様に一般教養科目から履修しなくてはならず、これがまたなかなかたいへんな道のりになります(4年で卒業する人はまずいないです、学士入学ですら4年で卒業はちょっとたいへん)。
僕は大学で世界史を学びたいと思っていました。その中もとりわけ東方キリスト教世界や中近東のあたりの中世の歴史をやりたいと考えていました。入学した時点で卒論で書きたいテーマの方向性が決まっていました。目的が明確だったのです(後述しますが、2回目の法学部の時に目的が明確ではなかったので(ノリで入ってしまったので)いろいろ迷走しました)。
大学の通信制の仕組み(慶應義塾大学の場合)は大きく分けて以下の3つの枠組みで構成されています。
1)通信授業
自宅に郵送されたテキストから選択した科目のテキストを読んで自分で学習します(独学です)。
各科目にはレポート課題があり、その課題を解いてレポートを書いて大学事務局に郵送します。レポートの分量はその科目の単位で異なります。2単位科目、4単位科目は概ね4000字程度です(400字詰め原稿用紙10枚程度ですね)。
提出したレポートは教員により審査され、「合格」もしくは「不合格」が記載されたレポートが返送されてきます。
またレポートの合否にかかわらずレポートが事務局に受理されると、年に4回開催される科目試験を受ける資格を得ることができます。
科目試験を申し込み、大学(地方の方は全国の都市で大学が借りた施設)で試験が行われます。
「レポート」と「科目試験」の両方に合格すると、その科目の単位を獲得できます。
2)対面授業
通信授業の他に、所定単位は対面授業で履修しなければなりません(文科省の取り決め)。そのため通信課程といえども、大学に行って所定単位分の科目を対面授業を受けて獲得する必要があります。この対面授業を「スクーリング」と呼び、夏期に集中的に1週間行われたり、夜間に週1回半年かけて行われたりします。この対面授業では出席が取られることがあり、また最終日には試験があります。試験に合格すると単位を獲得できます。
3)卒業論文
通信課程に於いては卒業論文の提出は必須です。上記の通信授業と対面授業である程度単位を取ると、卒業論文の用意を行います。卒論テーマを決めて、そのための資料集めを始めます。そして大学の事務局に卒業論文指導を申し込みます。卒業論文指導に申し込むと指導教授が決まり、指導教授の指導を受けます。指導は年2回の卒業論文指導は必須です(ある一定回数受けたあとは免除もあるらしい)。
卒業論文が書き終わり、卒業充足単位に目星がついたときに「卒業予定申告」を行い、卒業論文を提出します(卒業単位に不足がある場合には卒業までにその単位を全て取り終わる必要があります)。
そして最後に卒業論文の内容に関する対面の卒業試験(指導教授(主査)と他の教授(副査)との面接)があり、それに合格して初めて卒業できます。
卒業すると、4年制大学を卒業した時と同様、「学士」の資格を得ることができます。
大学の通信課程は卒業するのが難しいのか?う~ん、どうでしょう?
まあ入学者に対する卒業率が「数%」という数字が表しているように、難しいのでしょうね。
比較的簡単に入学できてしまうため、安易に入学してしまってレポートが全然通らす(それ以前にテキストの内容がわからず)挫折する方がたくさんいるのでしょう。入学して1~2年で退学してしまう方が多くを占めていると聞きます。やはり1~2年でフィルタにかけられてしまうのでしょう。
課題レポートの採点も科目試験の採点も通学課程と差がないみたいですので、やはり入学が簡単だといえどもやすやすと単位は取らせてもらえないとは思います。それなりの学力がないと、ちょっと続けていくのは難しいでしょう。
また、多くの方が社会人で仕事や生活(子育てとか両親の介護とか)と両立してやっていますので、それなりの気力と根性がないとなかなか続けるのは難しいかもしれません。
僕のケースでは、1回目は1996年秋に文学部第2類(史学専攻)に入学して卒業したのは2007年ですので、11年掛かっています。とはいえ卒業に必要な科目の単位取得は2000年頃には全て終わっていて、それ以降の7年間ぐらいは卒業論文を書くための下地作りについやしてしまった面もあります。中東の中世史をやろうと思ったのでアラビア語文献を読むためにアラビア語の学校に通ったり、卒論で書きたい地域を知りたくて中近東を旅したりしてるうちにあれよあれよという間に数年経ってしまいました。そして指導教授が1年間エジプトに研修に行ってしまうと聞いて、慌てて卒業論文を仕上げて提出し卒業しました。 早く卒業することに重きを置かず、むしろ学生でいることを楽しんでいたのでダラダラと在学してしまいました。
2回目(法学部)は、仕事で法律知識が必要になり一通り勉強するつもりで半分ノリで入ってしまいました。入ってから、僕は法学分野に向いていないことを知り、最初の数年はスクーリングのみに出席してテキストのほうをおろそかにしていました。一方で鉱物採集を再開してそれにのめり込んでしまい大学をあとまわしにしてしまって感もあります。5年ぐらい放置してて学費がもったいないと一念発起し学習に戻りました。現在(2020年12月)も在学中ですが、卒業単位を全て取り終わり、卒業論文も提出し、あとは卒業試験を待つのみとなっています。2021年3月には卒業する予定です(12年間在籍してました)。